我が本棚に空間は要らぬ

 前に話した通り、俺は部屋の片付けが苦手な方であるが、その割には本棚はキレイである。本棚自体がキレイなのではなく、本棚の中に仕舞われている本がキレイに整頓されている、ということである。本棚自体がキレイかどうか聞かれたら、自信をもってキレイと言いたいが言いづらい。
 この辺りがAB型特性なのか、キレイなところは几帳面なほどだ。実家にはその書物の量の多さの余り、背の高い本棚を三つほど作ったほどだ。作ったのは姉である。その本棚いっぱいに、本はキレイに並んでいる。本の種類がコミックのみという統一性もまた見事と言えよう。コミック以外の本は、小説も百科事典も写真集もなければ、飛び出す絵本も汚くても高価そうな巻物も本という名前の人も仕舞われていない。本という名前の人がここに仕舞われたいと言ってきた事もないし、万が一言ってきたらきっぱりと断ることができるか心配する用意だけはしてある。
 本は短編集から全40巻以上にもなるものまで豊富に取り揃えてあるから(勝手に集まったとも言う)、ジャンル、作者、出版社、目や肌の色などではいちいち分けない。要するに横一列で納まりがよい並べ方をしてある。なるだけ隙間があって斜めの角度で収まっている本がないようにしている。横に寝そべっている本など持っての他だ。そんな本が出るくらいなら納まりのいい巻数の本を買ってくるしかない。
 だが幸いにして本棚から溢れている本も存在するので、買う必要はないだろう。買う必要がないということは、金が減らないというわけである。故にお金には困らない。それどころか溢れた本を売って私服を肥やすこともできる。それなのにいつもお金に困っている。理不尽な話だ。
 ところで実は本棚で斜めになっている本は存在する。いくら俺が本をたくさん持っていても、どうしても横一列上手く揃わず、隙間ができてしまうのだ。同じタイトルの本が、二つ以上の場所に並んでいるのは嫌で、上手い巻数の本がないために、このような現象が起こる。三つある本棚に、そういった隙間は一つ以上1546個以下存在すると推測される。一つ以上82個でも多分あっている。確信はない。数えてもいないが、それ以下の数字になると、多分あっている、という部分を、ひょっとするとあっている、という文に置き換えなければならないだろう。大体、空間とは数学では0を指す場合が多い。だからこの場合、空間の数を数えることは0の掛け算をすることに等しく、結果的に0なのだ。故に、1以上1546も1以上82も誤りであるが、多分、ひょっとしたら、などの表現は適切であった。
 このように、自分は本棚に対して、キレイに本が隙間なく並んだ状態を好む。ここに本という人が紛れ込んでいたら、全身全霊を持って撤去するだけの技量が欲しい。どのような技量かが不明なのが悔やまれる。
 こう考えていて一つ思うことがある。本棚はキレイなのに部屋はさほどキレイではない。ひょっとすると俺は、キレイ・キタナイといった問題よりも、隙間があるのが許せないのかもしれない。そう考えれば部屋がさほどキレイではないのも納得がいく。床には色々なものが敷き詰められてあり、その敷き詰められ方は立体的である。
 きっと缶コーヒーや胃袋の中身が空になったときに気分が悪くなるのは、隙間ができたからだ。いつまでたっても空にならないのなら、証明はできないが幸福なはずである。
 追伸---




















 こういう空間は不必要に思う。

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